ATTIC AIR FORCE MUSEUM SECTION 3
1920〜1939
日 本 | |||||
中島 90式艦上戦闘機2号 |
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空母「加賀」 1936年5月 finemolds 1/72 |
全幅 9.37m 全長 6.18m 全高 3.03m 重量 1500kg 速度 293km/h 武装 7.7mmx2 30kg爆弾x2 |
中島の自主開発により、日本人が始めて設計した海軍戦闘機だが、ブリストル・ブルドッグ、ボーイング100D(F4B及びP-12の原型といわれる)を参考にしている。 そのため、外形にボーイングF4Bと似たところがある。 1932年の上海事変では、空母「加賀」に搭載されて活躍した。 |
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三菱 96式艦上戦闘機2号1型後期 |
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空母「加賀」 1937年 fujimi 1/72 |
全幅 11.00m 全長 7.57m 全高 3.24m 重量 1671kg 速度 435km/h 武装 7.7mmx2 30kg爆弾x2 |
設計者の堀越次郎技師は、零戦よりもこちらの方を評価して欲しいと語っていたといわれる。 欧米の戦闘機よりも50km/hも速度が速く、軽快な運動性を持っていた。 日華事変では、ソ連製やイギリス製、アメリカ製の中国軍の戦闘機に圧勝している。 |
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中島 97式戦闘機甲型 |
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11戦隊 ノモンハン 1939年5月 mania 1/72 |
全幅 11.30m 全長 7.53m 全高 3.25m 重量 1650kg 速度 460km/h 武装 7.7mmx2 25kg爆弾x2 |
設計は三菱の96艦戦を参考にしているが、97戦は直線的な形をしていて、運動性はこちらの方が良かったともいう。 ノモンハンでは、地上戦は日本の戦車がソ連のBT7戦車にやられて散々だったが、空中では97戦がI-16をはじめとするソ連機を圧倒し、一次二次合わせて1250機ほど落とした。 |
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川西 94式1号水上偵察機 |
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第3艦隊旗艦「出雲」 1940年 hasagawa 1/72 |
全幅 13.99m 全長 10.50m 全高 4.74m 重量 3000kg 速度 259km/h 武装 7.7mmx3 爆弾120kg |
安定性、操縦性、航続距離に優れていて、複葉三座水偵の傑作といわれる。 1号は水冷式エンジンを搭載したが、その信頼性が低かったので、空冷式エンジンに換装した2号が作られ、1号の倍以上生産型された。 戦艦、巡洋艦の他に、水上機母艦に搭載され、偵察だけでなく爆撃にも使用された。 零式水偵が実用化されてからも、連絡機、対潜哨戒機として長く使われた。 |
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愛知 98式水上偵察機 |
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巡洋艦「那智」 fujimi 1/72 |
全幅 14.49m 全長 10.71m 全高 3297m 重量 217kg 速度 武装 無し |
飛行艇形式の複葉水上偵察機で、巡洋艦に搭載され、カタパルトから射出された。 夜間偵察専用機だったが、94式水偵が夜間偵察機としても使われたので、生産機数は、わずか17機と少ない。 太平洋戦争開戦直後のイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズ撃沈に、偵察活動で貢献している。 飛行艇形式の偵察機は、これが最後で、以後、開発されなかった。 |
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空技廠 93式中間練習機 |
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海軍航空技術廠 1940年 LS 1/72 |
全幅 10.98m 全長 8.05m 全高 3.20m 重量 1500kg 速度 213km/h 武装 無し |
「赤トンボ」と呼ばれて、広く親しまれた海軍の練習機。 中間練習機として作られたが、実用機の性能が急激に向上したため、開戦後は初級練習機として大量生産され、水上機型も作られた。 戦後は、インドネシア軍に少数が徴用され、オランダとの独立戦争で、実戦機として使われたという。 |
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イギリス | |||||
アームストロング・ホイットワース シスキン3A |
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32sq 1931年 matchbox 1/72 |
全幅 10.11m 全長 7.72m 全高 3.10m 重量 1366kg 速度 251km/h 武装 7.7mmx2 9kg爆弾x4 |
V型支柱で上下翼を支えた一葉半戦闘機。 原型は第一次大戦の最後の年に初飛行している。 民間機型もあり、戦闘機としての最初の量産型はシスキン3で、1924年から配備されはじめ、一年後に、このシスキン3Aに転換している。 スウェーデン、カナダでも使われている。 |
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ブリストル ブルドッグ |
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19sq airfix 1/72 |
全幅 10.31m 全長 7.67m 全高 2.67m 重量 1601kg 速度 286km/h 武装 7.7mmx2 9kg爆弾x4 |
シスキンに代わる戦闘機として作られて、1930年代の初めにはイギリス空軍の主力戦闘機だった。 海外にも輸出され、主に北欧の空軍で使われている。 フィンランド空軍では、1939年から1940年にかけてのソビエトとの戦争で使われている。 |
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ホーカー ハート |
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エストニア空軍 1923年後期 airfix 1/72 |
全幅 11.35m 全長 9.93m 全高 4.11m 重量 2066kg 速度 296km/h 武装 7.7mmx2 爆弾236kg |
ホーカーという社名は、キャメルのソッピース社が社名を変更したもので、殉職したソッピース社のパイロットの名前だった。 ハートはシドニー・カム技師が設計した高速軽爆撃機で、ハインドなどたくさんの派生型が作られた。 スウェーデンでくつられたハートは、フィンランドとソビエトの戦争では、スウェーデン義勇軍が使用してフィンランド軍とともに戦っている。 (写真の水上機型は、エアフィックスのデーモンから簡単に改造したもの) |
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ホーカー デーモン |
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604sq 1936年 airfix 1/72 |
全幅 11.35m 全長 9.02m 全高 3.175m 重量 2025kg 速度 293km/h 武装 7.7mmx3 |
ハート軽爆撃機が運動性に優れていたので、戦闘機型として作られたのがデーモンである。 イギリス空軍では、本土だけでなく、地中海方面の海外基地にも配備し、オーストラリア空軍でも使われた。 第二次大戦勃発時には、第一線から退いていた。 |
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ホーカー フュリー |
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ユーゴスラビア空軍 matchbox 1/72 |
全幅 9.14m 全長 8.13m 全高 3.10m 重量 1583kg 速度 333km/h 武装 7.7mmx2 |
ホーカー最初の戦闘機ウッドコックから引き継がれた金属骨組み構造で、これは次作のハリケーンまで受け継がれる。 フュリーの設計者はハートと同じシドニー・カム技師だが、フュリーをロールスロイス・マリーンエンジンに合わせて、単葉機に改設計したのがハリケーンだが、そのことは、この外見からも分かる。 |
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模型制作と写真:メキラ・シンエモン |
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