令和7年師走の風景





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ジョウカイボンの春

ウォーキングコースにあるジョウカイボンのマユミは今年も花の時期が来た。去年は開花がおととしより数日遅かったがその去年より今年は5日ほども遅い。おとといまでは片手で数えられるほどわずかだった花は今日行ってみるとどの枝も白い花でいっぱいだ。これなら虫も来ているだろと思いジョウカイボンを探すと、いたいた、一匹見つけた。もっといないかと探すと、ああ、これは珍しい、初めて見た、やはりそうだったのか、とちょっと嬉しかった。今年はジョウカイボンがスズメバチでも捕まえたのを見たのかって、いやいや、今年はオスとメスがいたんだ。なんだそんなことか、と思うかも知れないがそうではない。ジョウカイボンはオスとメスを見分けるのが極めて困難で大きさの差ぐらいしか違いはない。しかし大きいのと小さいのが二匹並んでいても成長の差ということもあるからどっちがどっちと判定はできない。それがオスとメスがいたと言い切ったのはそれしか考えられないシーンに出くわしたからだ。すなわち大きな一匹の上に小さな一匹が乗っかって六本の肢で下の大きな一匹をしっかり抱えていた。だれがどう見てもこれは交尾だから下がメスで上がオスということになる。なるほどメスはオスより大きい。ジョウカイボンは思った通りこのマユミで繁殖していた。

ジョウカイボンは成虫で越冬し春になって繁殖するのだろう。それは八十八夜を過ぎてからのことのようだがそれがマユミの木でというのなら花を付けている半月ほどの間のことになる。花が早ければ繁殖行為も早いが遅ければ遅くなる。花がみんな落ちてしまうとほかの虫たちと同じようにジョウカイボンもどこかへ行ってしまう。虫も鳥も獣もみんな季節に従って生きている。人間の営みが季節を狂わせてはいけない。 2025年5月20日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

写真:虎本伸一


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庭のいちご


 早朝のポピィピョーポピィーポピィピョーポピィーと鳴くイカルの声は聞こえなくなり代わって近ごろはセグロセキレイが長い尾をせわしなく上下にふってツツ―ツツ―チョイチョイと鳴いている。庭のいちごが摘みごろとなった。一週間ほど前に初めてみっつほどを摘んだ。つぶは小さいが形はいい。まだ白いところがあったので二日ほど置いてほぼ全体が赤くなったところで女房と分けて食べた。甘さは控えめだが酸味の少ないおいしいいちごだ。えっ、どっちがふたつ食べたのかって、ちがうよ、ひとつは半分にしてひとつ半ずつ食べた。おとといの朝そろそろ摘みごろかといういちごを見つけてあすの夕方だなと見越していたらそれが夕方水やりに出て見るとナメクジにやられていた。油断も隙もあったもんじゃない、朝のうちに摘んでおけばよかった。



 ひと月前から毎晩聞こえる蛙の鳴き声はこのごろ一段と大きい。野田山のモミジイチゴは去年より早く食べごろの実が現れて今日最初のひと粒を採った。今年も花が咲き実が生り昆虫が動き回る楽しみな季節になった。それにしてもモミジイチゴの食べごろが年々早くなる。 2025年5月22日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

写真:虎本伸一


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無縁墓地の観音様

 野田山墓地には墓参する縁者がいなくなって久しい墓石を一か所に集めて雛壇状に積み上げ無縁仏として供養している場所がある。これまでそこへ行ったことはなかったが先日そこへ下りて行った。どうしてそんなところへ行ったのかというとアサギマダラを追いかけたのだった。結局、蝶は見失ってしまったがそのとき、雛壇の一番下に石仏がたくさん並べてあるのを見つけた。墓地らしく多くは地蔵菩薩で墓石の横にでも立ててあったのだろう。なかなか表情の良いお地蔵さんもいる。中に頭部が失われている石仏があった。これは地蔵ではない如来だ。いやよく見ると如来でもない。胸に瓔珞(ようらく:ぶら下げる装身具)がかすかに見えるし上腕に臂釧(ひせん:アームレット)を着けているから菩薩か天部だ。弁財天などの天女像の可能性もあるがやはり観音様だろう。墓地ならそのほうが相応しい。



 見失った蝶はアサギマダラではなかった。よく考えてみるとこの辺りを渡り途中のアサギマダラが飛ぶのは夏から秋にかけてだった。あの蝶はゴマダラチョウの春型だったらしい。 2025年5月30日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

写真:虎本伸一


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庭のりんごの木

庭のりんごの木に今年もたくさんの薄桃色の花が咲いた。去年より多い。その半分ほどは花びらも散りもう実が膨らんできている。別に間引きのようなことはしないが大きくなれない実は小さいまま自分から落ちてしまう。葉につくアオドウガネが出てきたら見つけ次第駆除してやる。そうしないと葉を全部食べられてしまう。今年も葉の上に二紋型のナミテントウのカップルがいる(写真左)。別の葉にはヒメカメノコテントウのカップルもいた(写真右)。どちらもアブラムシを食べてくれるありがたいテントウムシだが幼虫や蛹を見つけることもあるから確かにここで繁殖している。



 きのう葉脈を一所懸命に食べているルリカミキリを一匹見つけた。排除したりはしない。今日鳥越の奈谷さんが遊びに来て、あの庭の木に生っているものはなんですか、と訊いた。りんごですよ、青りんご、おいしいですよ、収穫したら分けてあげます、と約束した。



 今年は去年よりたくさんのりんごが採れそうだ。20個以上になるだろう。去年のりんごはおいしかった。お盆が過ぎたら毎日少しずつ収穫しよう。今年のりんごはきっと去年よりおいしい。 2025年6月3日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

写真:虎本伸一


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見上げればテイカカズラの白い花


 ウォーキングコースのひとつにしている墓地の中を登って抜ける坂道にテイカカズラがあることを小泉さんが教えてくれた。それがどんな花でどこに咲いているかを聞いて、それなら今さっき登って来る途中で灌木の葉の上に落ちている花を見てきたばかりだ、と直ちに首肯した。テイカカズラは梅雨の前後に小さめで巴型の白い花が咲く蔓性植物だがその花は巻きついた木の上の方で咲くからぼくは気がつかないでいた。



 
小泉さんはテイカカズラのテイカは定家のことだとも言っていた。もちろん藤原定家のことで古今集をこよなく愛する歌人らしい解説だったがなぜそうなのかは言ってくれなかった。ぼくも訊かなかった。家に帰って図鑑を見るとそのような記述は見当たらない。でもぼくは小泉さんの言葉を信じた。翌日も同じ坂を登って行き件の木を見上げるとなるほど藤原定家の白い花がたくさん咲いていた。そこで一首・・・とはならなかった。 2025年6月5日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

写真:虎本伸一


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菊芋の上の軍配


 グンバイムシを見てみたいとカメムシファンになってからずっと思っていた。グンバイムシという昆虫がいる。カメムシの仲間だがその名の通り平面形すなわち上から見ると軍配の形をしている。スリガラスのような色で大きさは3〜4ミリほどと極めて小さいからそんな虫がいることを知らなければ気が付かないだろう。そのグンバイムシを思いがけず自宅の庭で見つけた。庭のどこにいたのか。菊芋の葉にいた。菊芋は鳥越の奈谷さんがまだ小さい株をこの前たくさん持ってきてくれたのだった。菊芋というのは大人の背の高さほどに大きく伸びる草で夏の終わりから秋の初めにかけて菊に似た花びらが細長い大きくきれいな黄色の花が咲く。その根は芋で食べることができる。



 グンバイムシは梅雨の最中に菊芋の葉の上に現れた。ほとんどの葉に乗っていた。きっと卵が付いていたのだろう。二匹が斜めに重なり合っていることもあって交尾しているようだ(写真右)。グンバイムシは種類によって付く草が厳しく決まっているらしくその草の名前を冠して○○グンバイと呼ばれている。これは菊芋に付いているのだからキクイモグンバイというのだろうか。願いが叶ったのだが気持ちが意識を産み意識があるから目に見えた。ずっと気持ちを持ち続けていたことがよかったらしい。2025年7月7日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)


写真:虎本伸一


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晩秋のマルカメムシ


 今年最後に見たカメムシはマルカメムシだった。10月の下旬のある日、大乗寺丘陵公園と野田山墓地を繋ぐ道の脇に生える葛の葉の裏にマルカメムシがたくさん集まっているのを見つけた。マルカメムシはまさしく丸い形でカメムシにはちょっとも見えない。こげ茶色で大きさは5ミリほどと小さいから目立たず知らなければ見過ごすだろう。ほかのカメムシとはちがってじっとしていて近づいてカメラを向けても逃げないことが多い。度胸がいいのか鈍感なのか。小さいからあるいは動かないことで見つからないという戦略なのかもしれない。葛はマルカメムシがお気に入りの草でたくさん集まって列を成し茎から汁を吸う。しかし秋が深まってから葉の裏に集まってなにをしているのだろう。もう越冬場所に移動していてもいいころだ。集まっている葉は一枚ではない四枚もあった。まさかここで越冬するつもりか。



 雪が降るころには葛はすっかり枯れてしまう。その後もそこを通るたびに必ず見たが集まっている数も集まり方も毎回異なっていたから葛の葉の裏でじっとしているわけではないようだ。それなら冬籠り前の腹ごしらえか。マルカメムシの集団は11月になってグッと気温が下がった日を境に蔦の葉から一斉に姿を消した。やはり越冬はほかのところでするようだ。

 それから半月ほどしてネコジャラシのキツネのしっぽみたいな穂の上に一匹のマルカメムシがいた。どうしたんだろう。普通はネコジャラシにマルカメムシはいない。ネコジャラシはクモヘリカメムシが好みの草で繁殖期の10月にはどの穂を見ても成虫も幼虫もうじゃうじゃいたのが11月になった途端に一匹も姿が見えなくなった。

 ネコジャラシの穂の上でお尻をこっちに向けていた

 一匹のマルカメムシは冬籠りに入る前にクモヘリカメムシがいなくなったネコジャラシに立ち寄ってクモヘリの気分をちょっと味わってみたのだろうか。ネコジャラシはもうすっかり枯れていて穂が大きく開いている。 2025年11月25日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)

写真:虎本伸一


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空のヤマカマス


 クヌギの木が冬になりその枯れた葉をすべて落とすと葉が隠していたものがすっかり見えるようになる。丸裸になった枝からヤマカマスがぶら下がっていることがある。ヤママユガの一種ウスタビガの繭でその形がカマスに似ているのでそう呼ばれている。このなかに蛹が入っているのかというと中は空っぽだ。ウスタビガは卵で冬を越し春に卵から幼虫が生まれると梅雨のころ緑色の糸で繭を作りそれをクリやクヌギなどの木の枝から下げてその中で蛹となる。成虫の羽化は秋だから冬に見る繭は中が空っぽだ。新しいヤマカマスは緑色をしているが冬に見るヤマカマスはほとんど灰色に見えるほどくすんだ色だ。

 2025年2月1日

 去年の冬はたくさん、と言っても四つだったが、ヤマカマスを見つけたのにこの冬はひとつも見つからない。ただ、あれはそうじゃないのかなと思う枯葉が二枚か三枚が絡まって枝から下がる塊があった。去年はヤマカマスが下がっていなかったクヌギだ。



 今日もそのクヌギの枯葉を眺めていると風に揺れたはずみに丸い形がちらりと見えた気がした。カメラのレンズを200ミリにしてピント合わせのためにシャッターを半押しにするとさらに大きく拡大されるのでそれで見ると絡まった枯葉が貼りついた繭のようなものが見えた。カマスの形ははっきりしないがたぶん間違いない。見つけたのはこれだけというのは寂しい気がした。 2025年12月17日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)


写真:虎本伸一


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令和7年師走の風景


 12月に入って熊が人を襲ったという話はあまり聞かなくなったが人が人を襲ったという話をよく聞くようになった。年末恒例の清水寺の坊さんがたいそうな身振りで書く今年の漢字は「熊」だった。来年は「人」になるのだろうか。高市さんの一言で日中関係が悪化したとみんなで言っているけど関係が良くないのは聖徳太子の昔からずっとそうだろう。推古女帝が送った「日の出るところのわたしが手紙を日が没するところのあなたに書いたわ、元気かしら(日出處天子致書日沒處天子無恙云云)」という書き出しの国書を見た煬帝が激怒したと向こうの歴史書「隋書・東夷伝倭国伝」に記述がある(日本書紀にはない)と日本史の教科書に載っていた。腹を立てたわけは面子を潰されたということだったらしい。煬帝は隋の第2代皇帝だが煬という字は“ぼんくら”というほどの意味らしく隋は煬帝のときに滅んだ。なるほど。

 一気に九つの記事をアップした。どれも短いが日付でわかるように近ごろ新しく書いたものではない。書きかけで進展していなかった記事を仕上げたのだがなぜこの年の瀬の今になってかと言えば極めて簡単な理由で放置しておけないと思ったからだ。このままでは年を越せないという責任感からかと言えばそうではない。責任感の希薄なぼくにそんなストレスはない。そもそもこの世にストレスなんてものは存在しない、人が勝手にそう思っているだけだ。というのは掛かり付け医の先生の名言でぼくもそういうことにしている。それが成功しているかと言えば、さあそれは・・・、でもそうすることにすると幾らか気は楽になる。とにかく、書きかけはそのまま没にしてもよかった。ではなにかきっかけがあって未完を仕上げようという気になったのかと言えばきっかけなどなにもない。心境の変化とか思うところがあってとかそういうことでもない。ふとそう思ったというだけだ。それならネコ科のぼくのいつもの気まぐれ。いや、あるいはなにかの啓示だったのかもしれない。 2025年12月21日 虎本伸一(メキラ・シンエモン)




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