参 考

菊理媛神

 白山の神は女の神様で、白山比咩神(シラヤマヒメノカミ)またの名を菊理媛神(ククリヒメノカミ)といい、イザナギノミコト、イザナミノミコトと共に白山比咩神社に祀られています。(写真は吉野谷村佐良の佐羅早松神社境内にある菊理媛神社です。)
 菊理媛神は日本書紀にだけ登場します。たった一ヶ所で、それも名前が一回出てくるだけ、と言っても良いようなわずかな記述です。その部分は、だいたい次のような話になっています。
 イザナギ、イザナミの夫婦の神様はたくさんの国や神様を産みますが、イザナミは最後に火の神様を産んだために死んでしまい黄泉の国へ行きます。イザナギは未練がましくイザナミを訪ねていきますが、すでに黄泉の国の住人となっていたイザナミは、ひどく醜い姿に変わっていました。そして二人は言い争いをします。訪ねていったことを悔いたイザナギは逃げるようにして、黄泉の国の入り口(泉平坂・ヨモツヒラサカ)まで戻ってきます。その時、菊理媛神がイザナギに何かを言います。イザナギはそれを聞いて、善(ほ)めて、黄泉の国から退出します。
 という話なんですが、菊理媛神がイザナギに何を言ったのかは書いてありません。また、なぜそこに菊理媛神がいるのかも書いてないので、これでは菊理媛神がどういう神様なのかはよく分かりません。
 (ちなみに「ホツマツタヘ」という昔の本にも菊理媛神が出てくるそうです。この本には、イザナミノミコトが天照大神を産んだ時、白山の女神が取り上げて産湯を使わし白山で作った産着を着せたが、この神様だけが生まれたばかりのアマテラスの話す言葉を聞き取ることができたので、イザナギとイザナミから「キクキリ媛」という名前を賜った、というようなことが書いてあるそうです。この「キクキリ媛」という神様が菊理媛神のことだということのようですが、この本は一種の奇書で、書いてあることはあてにならないとされているようです。)

 それで、名前の「くくり」という言葉の意味を考えることで、菊理媛神はどんな神様なのかと、色々な解釈がなされています。例えば、「くくり」を「くくる」という動詞の名詞形と考えて、「くくり」は「括り」すなわち「結びつけること」であるとして「縁結びの神様」であるという解釈、「くくり」は「糸を紡ぐこと」で養蚕と関係があるとする解釈、「くくり」は「潜り」すなわち「水を潜ること」で「水の神様」だという解釈などがあります。また、おそらく「ホツマツタヘ」の記述を基にしてだろうと思いますが、菊理媛は「聞入媛」の義だとする解釈もあります。このほかにも、白山を開いたとされる泰澄は高句麗から亡命帰化した婦人の子供であるという伝承を基にして、菊理媛神の「くくり」は高句麗のことだという話があります。
 これらの解釈の中では「水の神様」であるというのが、一番納得できそうな気がします。しかし、いずれの解釈も日本書紀の記述を一切考慮していないように見えます。そこで試に、日本書紀の記述からどんな菊理媛神の姿が見えるか、書いてあることを透かしたり裏返したりして、ちょっと考えてみます。

 イザナギは妻イザナミの死を悼み、黄泉の国へと訪ねて行ったものの、すでに黄泉の国の住人となり醜く変貌したイザナミを見て、驚き、失望したに違いありません。また、激しい言い争いもして、イザナギはかなり落ち込んでいたことでしょう。そのイザナギが菊理媛神の言葉を聞いて(菊理媛神を)ほめたということは、菊理媛神が何か気の利いたことを言ったか、イザナギが感じ入るようなことを言ったからに違いありません。あるいは、菊理媛神の言ったことがイザナギを慰めたか勇気付けたのかもしれません。
 こういうことを考えてみると、菊理媛神という神様は、理性的ながら情の厚い神様ではないかと思います。(「くくり」という名前は「言い含める、納得させる」という意味の「くくむ」あるいは「くくめる」と「り(理)」すなわち「道理」を連結させた「ものの道理を納得させる」という意味ではないかという気がします。)
 それと、菊理媛神が黄泉の国の入り口のようなところに、なぜいたのかということですが、まず、菊理媛神とイザナギ(及びイザナミ)との関係について考えてみると、地位はイザナギが上だと考えられますが、イザナギに対して自由にものを言える立場のようなので、菊理媛神はイザナギ(及びイザナミ)の妹か従姉妹、あるいは幼なじみのような親しい友達なのかもしれません。そう考えると、菊理媛神が黄泉の国の入り口にいた理由は、黄泉の国へイザナミを訪ねて行ったイザナギを気遣って、黄泉の国の入り口まで迎えに出ていた、ということだったような気がします。

 こういうわけで、菊理媛神の正体ははっきりしませんが、イザナギノミコト、イザナミノミコトとの関係は親密だ、ということは言っても良いように思います。では、なぜ菊理媛神が白山の神様なのかということになると、これはまったく説明のしようがないようです。しかし、冬のよく晴れた日に加賀平野から見る白山は、その白く清らかで優美な姿が青い空に映えて美しく神秘的で、そこに坐(いま)す神様がなぞの媛神様であっても、むしろその方がふさわしいような気もします。(メキラ・シンエモン)


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